エイサーのルーツを巡る旅

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歴史文化

初回投稿日:2014.04.26
 最終更新日:2024.03.27

エイサーのルーツを巡る旅

今では年中見ることができるエイサーですが、

本来エイサーが行われているのはいつなのかというと、旧盆の時期です。

 

 

旧盆は、旧暦7月13日の先祖を迎えるウンケーとよばれる日から、

旧暦7月15日のウークイという送り日までの3日間です。

 

 

なぜ、エイサーが旧盆の時期に躍られるのかというと、

それは「沖縄の盆踊り」だからなんですね。

 

ではいつから始まった風習なのでしょうか?

その起源まで辿ってみると、けっこう興味深いことがわかってきます。


エイサー

 

現在のかっこいいエイサー衣装や勇ましい演舞スタイルは、

意外なことに戦後からになってからだそうです。

 

沖縄のエイサーのはじまりはそれよりももっと古く、

なんと、17世紀初頭までさかのぼります。

 

琉球王国の国王・尚寧王(しょうねいおう/1564年-1620年)の時代に、

袋中上人(たいちゅうしょうにん/1552年-1639年)という

浄土宗のお坊さんが琉球に渡ってきました。

 

袋中上人は、帰依した国王から許可をもらい、

琉球の人々に念仏を広めようとしました。

 

彼の故郷は福島で、福島では念仏踊りのじゃんがら踊りが有名なのですが、

念仏踊りのようなスタイルで教え広めたのではないかともいわれています。

 

では、日本語である念仏を、どのようにして琉球の人々に広く伝えたのでしょうか?


テーラシカマグチのお墓前

 

袋中上人の伝える念仏を、琉球の言葉にして歌をつけたのが、

豊見城(とみしろ)平良の豪族・テーラシカマグチ(平良シカマロ)という人物なのだそうです。

(写真上は、テーラシカマグチのお墓前/2009年『第1回しかまぐち祭り』より)

 

さらにそれをエイサー節にして、三線(さんしん)で弾いた人物(知念積高)もいて

琉球に広まっていったのだということを、

3月30日にうるま市勝連で開催された

『琉球とエイサー 講演とシンポジウム』で知ることができました。


琉球とエイサー 講演とシンポジウム

 

テーラシカマグチは伝説上の人物ではないかともいわれていましたが、

豊見城市立中央公民館の向かい側に金武御墓と呼ばれるお墓がありますし、

袋中上人のお寺跡も那覇市の松山公園内にあり、記念碑が建立されています。


金武御墓

 

さらに詳しくエイサーのことを知ることができる施設としては、

沖縄市のコザ・ミュージックタウン音市場の1階に、

エイサー家という資料館もあります。


エイサー家

 

エイサーの季節が本格的にはじまる前に、

そのルーツを巡る旅をしてみると、

エイサーをより楽しむことができそうですね。

 

 

那覇市松山公園

住所/沖縄県那覇市松山1-17

 

豊見城市立中央公民館

住所/沖縄県豊見城市字平良467-1

 

エイサー家

住所/沖縄県沖縄市上地1-1-1 105

 

 

桑村 ヒロシ(KUWA)

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